清明節とは

中国の清明節といったらどんなイメージでしょうか?

今年の清明節は4月5日(今日)で、5日〜7日法定三連休となりますが、学校側は生徒様の受講スケジュールに応じて今日も出勤することにしました。ですので、これをきっかけとして中国の清明節(清(qīng)明(míng)节(jié))について、少しご紹介させていただきたいと思っており、何卒宜しくお願いいたします。

清明節とは祖先の冥福をお祈る時日で、中国四つの伝統祭日(春節端午節と中秋節)の一つと言われています。この祭日の起源をさかのぼると、ずいぶん昔話になります。
中国の春秋時期(紀元前770年−紀元前221年)、晋公子(エンパイア晋文公)が国内迫害でやむなく海外亡命生活をしなければいけなくなり、ある日ある処で食べ物を手に入れられなくてのるかそるかの瀬戸際に立っているところで、侍従介子推という人は自分の大腿から肉を割り、煮出し汁を晋公子に飲ませて、命を救ってあげました。それから19年が経って、晋公子はエンパイア晋文公になり、即位の後、侍従介子推に限って、当時とともに亡命した功臣たちを褒賞を与え上げました。まわりには介子推のために不公平だと主張する人は数少なくないですが、褒賞をものともしない介子推は荷物を片付け、绵山という山の奥にくすむことにしました。晋文公がこのことを知り、けっこう後悔で、身をもって介子推を探しに行きました。が、山の奥に手もなく人を探せるわけないし、結局、火を放つという策を採りました。しかし、悔しいのは、火が消えた後、介子推が母を背負って柳の下に座って亡くなったのをみつけました。しかも、入棺するときに木の洞に“割肉奉君尽丹心,但愿主公常清明”と書いた血書が見つかりました。晋文公は介子推をスーベニアにするためにこの日は“寒食节”と決まり、翌年、大臣を率いて山へ弔いにいったら、その柳を生き返すことを見出し、“清明柳”という名を授けてあげる一方、この日も“清明节”と定めました。それから、各時代が経て、この日には日本の盂蘭盆会のような先祖への懐かしみなどを奉る祭日になりました。
この日に墓参り(扫(sǎo)墓(mù))、凧揚げ(放(fàng)风(fēng)筝(zhēng))、蹴鞠(蹴(cù)鞠(jū))また遠足(踏(tà)青(qīng))などイベントも行われます。



さて日本盂蘭盆会はどんなおもしろい行事があるでしょう?
イージーマンダリンでお会いのをお楽しみその時ぜひ耳を澄まして聞かせていただければ嬉しいです。何卒宜しくお願いいたします。